慶長の頃(16世紀末)松浦藩領内木原山での出来事です。
時の藩主松浦鎮信候が藩境検分の途次、休憩のために元祖(初代臥牛)の営む草庵にお立ち寄りになりました。その折、庵の前にある小さな窯をご覧になり「臥牛かな」と興されました。その言葉を頂いて臥牛窯と命名し、代々襲名することになりました。
一方、「京の仁清、西の現川」という言葉が良く用いられる程優美な「現川焼」は、元禄の頃(17世紀末)に矢上村(現在の長崎市現川村)で創始されました。
現川焼の特質は、九州の土物に珍しい薄作りの器体と鉄分の多い茶褐色の赤土に映えるリズム感に富んだ多種多彩な刷毛目にあります。
ある時は「海」をまたある時は「幽玄な草原」を表すこの空間表現こそが、現川刷毛目の真骨頂です。また、垢抜けした器体や加飾のデザインは、当時の陶工のセンスの高さを垣間見ることが出来ます。
これらの逸品を生み出した陶工達の素晴らしい感性と創意は、現代においても十分通用する確かさと未来への新しい創意を生む力さえ感じさせてくれます。
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